阿南準郎(阿南潤一)(全盛期)
2016年03月06日00:36
阿南準郎(あなん じゅんろう) 内野手 広島
内野手(三塁手・遊撃手・二塁手) 右投右打 広島→近鉄
大分県立佐伯鶴城高 高校 1956年~1970年
広島カープ、広島東洋カープ:1956年~1968年 近鉄バファローズ:1969年~1970年
守備職人として活躍した内野手
1956年(1年目)
.195 1本 5打点 0盗塁 34試合
ポ |
選手名 |
右巧 |
左巧 |
長打 |
走力 |
送球 |
捕球 |
肩力 |
リ |
捕 |
一 |
二 |
三 |
遊 |
左 |
中 |
右 |
遊 |
阿 南 |
24 |
29 |
42 |
60 |
20 |
5 |
65 |
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50 |
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1961年
.199 2本 15打点 1盗塁 117試合
ポ |
選手名 |
右巧 |
左巧 |
長打 |
走力 |
送球 |
捕球 |
肩力 |
リ |
捕 |
一 |
二 |
三 |
遊 |
左 |
中 |
右 |
三 |
阿 南 |
28 |
33 |
45 |
55 |
70 |
60 |
60 |
|
|
|
50 |
60 |
50 |
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1964年
.246 6本 47打点 4盗塁 137試合
ポ |
選手名 |
右巧 |
左巧 |
長打 |
走力 |
送球 |
捕球 |
肩力 |
リ |
捕 |
一 |
二 |
三 |
遊 |
左 |
中 |
右 |
二 |
阿 南 |
41 |
46 |
55 |
55 |
60 |
45 |
60 |
|
|
|
65 |
55 |
55 |
|
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1969年(近鉄)
.232 7本 36打点 8盗塁 118試合
ポ |
選手名 |
右巧 |
左巧 |
長打 |
走力 |
送球 |
捕球 |
肩力 |
リ |
捕 |
一 |
二 |
三 |
遊 |
左 |
中 |
右 |
三 |
阿 南 |
37 |
42 |
59 |
55 |
70 |
55 |
55 |
|
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55 |
60 |
50 |
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トータル
1964年ベース
ポ |
選手名 |
右巧 |
左巧 |
長打 |
走力 |
送球 |
捕球 |
肩力 |
リ |
捕 |
一 |
二 |
三 |
遊 |
左 |
中 |
右 |
二 |
阿 南 |
41 |
46 |
55 |
55 |
70 |
50 |
60 |
|
|
|
65 |
60 |
55 |
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通算成績
1956年~1970年
.218 34本 254打点 43盗塁 34盗塁死 出塁率.267 1415試合
タイトル
なし
表彰
なし
記録
特になし
総評
守備型内野手。
高い守備力で活躍した内野手。
守備位置は1956年から1958年はショート、1959年から1961年はサード、1962年はサード兼ショート、1963年・1964年はセカンド、1965年からはサード。
コンバートは遊撃手→三塁手→二塁手→三塁手。
犠打はそこそこあり、最多は9。
盗塁は少なく、盗塁成功率は低い。
四球は少なく、三振は少ない、出塁率は低い。
併殺打は普通。
死球数は少ない。
愛称は特になし。
守備型の内野手として活躍。
入団後は遊撃手としてプレーし、1960年から三塁手としての出場が増える。
古葉毅とともに鉄壁の三遊間を形成し、守備職人として活躍。
1964年は二塁手として出場し、自身唯一の規定打席に到達。
1965年からは再び三塁手になり、1968年に近鉄に移籍。
1970年に現役を引退。
引退後は近鉄のコーチや広島のコーチ・監督を務めている。
主に7番打者として活躍している。
背番号は50→25→5で、1960年から1967年は「25」。
登録名は1963年までは「阿南潤一(あなん じゅんいち)」、1964年からは「阿南準郎(あなん じゅんろう)」。
守備職人として活躍した内野手。
打撃成績はあまり良くなく、7番打者としての出場が多い。
二塁手・三塁手・遊撃手をこなすが、足は速くない。
守備範囲は普通で、失策数は少ない堅実な守備が特徴。
更新情報
歴代全盛期 チーム別データ
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